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- カウンセラーの心のプロフィール - |

心の経歴 |
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・ 1955年、秋田県にある天理教の教会の次女として生まれる。 |
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父親は教会長の息子として大切に育てられ器用でやさしい性格だった。 母親も教会長の娘として育ち美人で穏やかな性格だった。 両親の結婚後は父親は母親を溺愛し非常に中の良い夫婦だった。 しかし父親は第2次世界大戦に出兵し、戦地で捕虜として数年間抑留された。 その間は想像以上の拷問にあっていたらしい。戦争が終わり戦地から帰った父親は 人が変わったように精神的にあれアルコールに浸り母に暴力を振るうようになっていた。 私自身はそんな家庭の中で両親の諍いに心を痛めびくびくしながら幼少期をおくった。
母親は心労もあって5歳の時突然肺炎をこじらせ死亡。 その後、母親代わりとして可愛がって育ててくれていた祖母もまもなく 脳卒中で寝たきりとなり、父は幼い子供と寝たきりの祖母を抱えて ますますあれるようになった。 祖母が寝たきりになってから3年後に幼い私のちょっとした意地悪を最後に 祖母は突然危篤に陥り死亡。 その後父は再婚。気の強い継母とはよく喧嘩していた。 しかしある日、継母が弟を虐待していたことを知り、 許せなくなって姉と二人で母を追い出した。 弟が小学校に入学してから弟の学習障害が発覚。 その件で学校や近所でいじめを受けるようになった。 弟だけではなく私自身も小学校入学当初から 学校で話すことが出来ない情緒障害(場面寡黙)であったが、何の援助も無く育つ。
このような生育暦の中で、父親も母親も祖母も助けたいと心の奥底で願い、 天理教の教会の仕事をしていても心を救われていないことの現実に非常に疑問を感じて育つ。 |

・ 中学3年生の時に父親が2度目の再婚。 |
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宗教熱心な継母との心の葛藤を感じながら送る。 高校3年生の時、大学進学を目前に姉がトラブルを起こし 父親が今までに以上に家庭内であれ、それまで目指していた 上京し通訳になるための進学を反対され、それまでの夢を断念する。
家出同然に上京し3浪する。その後福祉関係の専門学校に進学し 福祉施設で働く。しかし福祉施設で援助することに疑問を感じる。
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・ 1984年〜85年 |
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住居トラブル、婚約破棄、失業、親友との絶縁 、父の死、自己の病気とあらゆる災難に見舞われる。
人生の底つき体験をし、これ以上落ちることがないと実感。 ある意味腹が据わり、以前からやりたかったカウンセラーの道を志し カウンセリングの勉強を始める。また、 全ては自分の心のありようが招いたことと自覚し、 自己改革を目指してカウンセリングを自分自身が受けることを決意する。
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・ 1995年 |
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自分自身のカウンセリングもある程度まで進み、 「今の自分だったらカウンセラーとして働けるかも知れない」 と直観的に感じた頃、心療内科のカウンセラー募集記事を目にする。 応募者多数の中から選ばれプロのカウンセラーとして 本格的にカウンセリングの仕事を開始する。
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